Bellingham のことを書こうと思っても思い入れが強すぎて書けないの。にゃんちって。
一つとして漏らすまいと思ったら気が奮い立ち、肩はいかり鼻息は荒くなるので、そういうのはまた後で…。
というわけで。
昨日、義両親、3歳の甥っ子(義兄の子)とわたしたち夫婦の計5人で出かけました。
じーじばーばの、孫に対するデレっぷりはすごくて、こんなに甘やかして逆にだいじょうぶかと甥の行く末を心配したくなるほどでした。怖いものなしの立派な小皇帝がそこにはおりました。
私からすれば、じいちゃんではなくもちろん義理の父ですが、っていうかおっさんですが、その、ええ加減に齢もいったおっさんが、小坊主のご機嫌を訊き、願いを叶え、退屈しないようにあれこれ手を尽くす。
「俺んとこの孫はかわいい」
「俺はこいつのやりたいことは全部させたる」
口に出してたかどうかはともかくとして、全身がそう語っていました。
傍でめちゃめちゃ感情大爆発させてる人がいると、ちょっと引いてしまうものです。「なんぼほど…」と思いかけている自分に気づきました。
「おまえはじいちゃんに似て手が大きいな」
親指から小指まで、全部同じ太さの指がそろったデッカイ手を広げて言う。
「?
ぼく手ちっちゃいよ?」
大人たちがめいめいの手と見比べる。3歳児には自分の手が、体に比較して大きいかどうかなんてわからない。お友達と手のひらくらべっこなんてまだしないだろう。
まだ自分の頬もつつめない、5つの手の中で一番小さな手。 「?」。
大きくなったら、手も大きくなるよ。
きみは、ものすごい早さで成長して行く。
あるいは、長い指をぐっと伸ばして、じいちゃんと同じくらいだねなんていう日が来るだろう。そんな頃が来る時には、反抗期のただなかで、目も合わせてくれないようになるかもしれない。「あんだけ可愛がってあげたのに残念やったなぁ」ってまわりが(わたしが)意地悪に笑うかもしれない。
それでも、いいんだろう。
じいちゃんの孫に対する愛情は深くて無限で、いつかそんな日が来るよって言われても痛くもなんともない。自分のおじいちゃんのことを思い出した。
「ぼくも、じいちゃんのところまで行きたいなぁ」
小皇帝も、そんなじいちゃんが大好きだ。
先を歩く祖父を追いかけようと急いて、つないだ祖母の手を引く。
きみは、ものすごい早さで成長して行く。その間、わたしも、じいちゃんも、同じ早さで齢をとっていく。
じいちゃんは、いつか、自分がきみより先に死ぬことを知ってる。
自分のてのひらが大きくなることを予期するすべもないきみは、そんなことは知るにはまだ幼すぎる。
じいちゃんはあどけなくて可愛いきみがいとしくて仕方ない。
それで、いいんだろう。
歯が抜け落ちそうな甘い溺愛っぷりにも目を瞑ろう。じいちゃんは、ありうる限り、きみにぞっこんでいくんだ。