2013年10月31日木曜日

出産の記録その3…いよいよ無痛分娩の麻酔に突入編

前回の更新の途中から、自宅に帰りました。
結局50日くらい実家にいました。

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余裕で旦那を陣痛室から帰してからしばらくしてから、いよいよ、5〜8分間隔でたまにうーと唸りたくなるくらいの痛みがくるようになりました。これが陣痛なのでしょうか?
9時半頃なので、破水してから18時間半経過。

「陣痛ってわからへんかったらどうしよう」とか思っていたけれど。いや、分かる分かる。これは痛い。痛いわ。普通じゃない感じの腹痛&腰痛やわ。

夜10時のNSTで赤ちゃんの心拍は130くらい、陣痛間隔は7分くらいと判明。腰にもいよいよ、腰椎麻酔の準備のためペンレス(貼る麻酔薬)を貼ってもらう。

痛いながらも、行動に余裕はあるので、LINEのグループで今陣痛室にいるよと告げたり、テレビでオリンピック招致の特番を見る。東京は無理やろーと思いながら。

内診にて子宮口は2cm、あと12時間はかかりそう、とのこと。

夜中ごろ痛みで半べそになる私。眠れないしこんなに痛いのに。それがあと12時間。12時間という時間を過ごす事を思うとつらくなる。
もうちょっとしたら麻酔してもらえるけど、実はここまできて何だけど、腰に注射をすることも怖い。

夜中テレビでSmaステ!を観てる頃もう一度NSTをしにおばあちゃんが来てくれた。ペタペタと貼って、そのまましばらく待たなければいけないので、去ってもいいのだけど、このソファで待つわ、といって世間話をしはじめるおばあちゃん。痛みから気を紛らわせるために話し相手になってくれてるんだ。「けろけろケロリンやから産まれん」と言われた時はショックでこのおばあちゃんが嫌いになりそうだったけども、そう気づいてからは、なんていい人なんだと思った。
グラフの陣痛の波形を見ながら「今痛かったね」とか、Smaステ!が、ご当地お土産特集だったので、あれは美味しいとかこれはどうとか、そこから福岡におばあちゃんの妹がいるということとか。
話の流れで、あたしが出産したのはもう半世紀も前やわ、というので、じゃあもう70歳くらいかいなと密かに目を白黒させてるといや、半世紀は言いすぎか…と呟いてらしたけど。
でも、そんくらいに近いという事だ。
片道1時間以上通勤にかかるみたいだし、夜勤だし、なんてすばらしい!
オリンピックが東京に来たら…という話から、あたしは次のオリンピックまで生きてるかどうか…お腹の赤ちゃんは7歳になってるから記憶に残る年頃だろうね、とおっしゃる。7年後にどうこういうほどはないと思われるくらいお元気そうだけど、生まれる命とのその対比に物悲しくなった。
そして非常に気が早いが、70年後、この赤ちゃんもこんなおばあちゃんみたいな人になっていたらいいのにな、と思った。


深夜1時。先生が来てくれる。
「寝られないでしょう、無痛分娩の麻酔をしましょうか」とのこと!

ペンレスを貼ってたけど、本物の麻酔をするための予備の麻酔の針が刺されたとき、「あぁ外傷の痛み受けてる」と思った。今までは陣痛で中からの痛みばかりに集中していたので、「あぁこういうのもまたイテテ」と思ったのだ。
それから腰へ本物を刺す。
ベッドに横になっておもくそ体を丸めて、自分の膝で大きくなったお腹を押さえ込む格好になるのがまた、変に圧迫感で痛かった。でも、万一失敗して神経を傷つけて半身不随になったら…!とか余計な妄想で恐怖し、ぐいーんと体を丸めまくる!!
思っていたより、痛いというか変な気持ち悪さを感じた。その腰への麻酔針につないだカテーテルから麻酔を入れてもらうと、背中にまず冷たさを感じて、その後15分経つ頃にはじわーんと脚がしびれてきて、なんと陣痛を感じなくなった!

これが失敗だと「片効き」といって左右どちらかだけ麻酔がかかった状態になるらしい。そうなるともう一回針を刺し直しだそうで…麻酔が効くか待っている間、お願いだからちゃんと効いて!と祈っていたのだ。

ほどなく眠りにつくことができた。
破水してからの長い一日がやっと終わった。




最近地元のお祭りがありました♪
めめちゃん、太鼓の音にもすぐ慣れて泣かない!むしろ寝れる!さすがこの親にして…